それは悲し過ぎる結末でした。2007/06/23 03:23

人はいろいろなことに喜んだり、悲しんだりするものです。僕も同じです。僕の場合は、自分の性格の問題かどうかわかりませんが、それに関わった時間の長さが、喜びや悲しみと大きく影響しているような気がしています。

僕が1998年から予算もないのに細々と取り組んできた、あるプロジェクトは、今年になって予算が付き、今月から実証実験を始められるようになりました。9年かかってやっと走り出しました。これは嬉しいんです。素直に喜んでいます。

でも、残念なこともあったのです。

同じ1998年から3年間、僕が平日は毎日のように聞いていたラジオ番組の某ナビゲータさんの話です。彼女は2000年4月に「大学院に入るため」という理由で2000年3月末に番組を降り、その後、実際に某大学院学生をしていたはずなのです。が、しかし、いつの間にか海外のある都市に住んでいるというblog記事が見つかりました。なんでそんな町に?と僕は思いました。それから2年間、まったくメディアに名前がでてこなかったのですが、先日、今年4月から某テレビ番組のナレータをしているということを知りました。あの声は本当に良かったよね…と思い出しながらテレビのチャンネルを合わせました。

しかし…、結果は僕の予想を悪い方に裏切るものだったのです。声が全然変わっていました。また、番組サイトの経歴欄には「2児の母」とありました。とても悲しかったです。というのも、ひょっとすると今年秋頃に、その方に、ある仕事をお願いしてみようかと思っていたからです。でも、あの声を聞いて、それは夢のまま保存しておくべきだと感じました。

それは悲し過ぎる結末でした。

コメント

_ 麦茶 ― 2007/06/27 12:47

あこがれはそっと取っておくべき・・・、かもしれませんね。長年大切に心の中にしまっておいたものが変わってしまうのは、本当に悲しいですものね。

この傾向、男性に特に強いように思います。

閑話休題。

今度は早稲田に住まいます。母校へおいでの際はご一報を。

_ たつみ ― 2007/06/27 22:58

麦茶さん、こんばんは!

なんか心の中をみすかされている気がします。するどい。
ところで早稲田に引っ越されるのですか…。
僕は7月中旬までなら毎週行ってますよ。
母校というよりも、毎週定期的に行く職場のひとつです。

おいしい店ならたくさん知ってますよ。

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